Written in Japanese. Japanese fonts required to view this site / Game Review & Data Base Site
≫スーパーマリオクラブ
■放送局 テレビ東京
■放送期間 1990年10月4日〜1993年9月30日
■出演 渡辺徹、本田理沙、加藤紀子…(ほか)
▼番組概要 ≪Last Up Date : Last Up Date : 2/7/2010≫
記念すべきシリーズ第一弾。
この番組から10年にも渡る歴史が作られた。
総合司会は俳優の渡辺徹、アシスタントは副司会の本田理沙。
なお、本田理沙は途中で降板。後期からは番組にて一度、ゲストとして出演した女優の加藤紀子が副司会を担当した。この後、加藤紀子は『64マリオスタジアム』の中期に至るまで副司会を務め、渡辺徹とコンビで活躍していくことになる。
放送時間帯は毎週木曜日の午後6時から午後6時30分まで。

放送初期は、一人の女の子に4人の中学生以下の男子が告白の権利を求めてゲームバトルをするという、何とも珍妙な企画メインの内容だった。後に『スーパーマリオバトル』と呼ばれるクイズ企画が番組のメインとなり、以降の『64マリオスタジアム』中期まで、シリーズの定番コーナーとして人気を博すことになる。
また、当時はインターネットが無かったのもあり、番組内にはゲームの攻略情報を教えるコーナーと言ったものもあった。ラスボスの映像を堂々と紹介したりなど、その内容はネタバレ全開だったが、それが当時を象徴していたのは言うまでも無い。更に番組後期辺りからはゲーム対戦企画として、『全国対抗 勝ち抜き王者決定戦』というものもスタート。最強を求めて、全国から様々な小中学生のチャレンジャーが参加した。その戦いを求めて当時、番組に出演しようと目論んだ視聴者の方も多かったのではないだろうか。
初の番組故に初期には荒削りな一面も多かったが、クイズ企画などの人気コーナーは既にこの時点から誕生しており、これが後に10年も番組が続く原動力となったのは言うまでも無い。また、後期辺りからゲストも招くようになり、その中には後に大物となる人も大勢いたのもこの番組を語るにおいては外せないだろう。最も、この後の『スーパーマリオスタジアム』や『64マリオスタジアム』では更に大物が出演する訳だが。

なお、このシリーズに限り、オープニングに主題歌が付いていた。後のシリーズではこのオープニング主題歌が完全に廃されている。ちなみに初期のオープニングを歌ったのはFire-Crackres『永遠にBoys&Girls』。後期からは『友達はいますか』、歌っていたのは何とシャ乱Qだった。
▼コーナー紹介
基本的に4つのコーナーから構成されていた。代表的なものをピックアップ。

◆お姫様にアタック
放送開始初期の企画。4人の中学生以下の男子が一人の女の子に告白する権利を巡り、ゲームで争うというもの。後の『スーパーマリオバトル』なるクイズ企画の原型となった。

◆スーパーマリオバトル
この『スーパーマリオクラブ』の代名詞となったクイズ企画。クイズの形式は早押し。4人の解答者がテレビゲームに関する問題で戦う。アクション、シューティング、RPG、スポーツ、ノンセクションの4種類のジャンルごとに用意された全4問(低い順に10〜40点)の問題の内、1問を出題し、解答者が早押しで答える。正解した場合、その解答者がパネルをめくる権利を獲得し、任意で4つのジャンルの問題を選択できるようになる。
逆に間違えると減点。三回間違えると失格というシビアなルールだった。
企画開始当初は二部構成の形式を取っていて、クイズが予選、決勝がゲーム(スーパーマリオワールド)対決となっていたが、途中からクイズだけとなった。ちなみに問題は視聴者からの投稿問題もあった。

◆マリオクイズレーシング
番組後期から始まった『スーパーマリオバトル』の後継コーナー。クイズ企画で例によって形式は早押し。4組のペアが争うという、後の『スーパーマリオスタジアム』のクイズ企画の原型となった。
問題の大半は映像が中心。しかし、中にはゲーム以外のアニメ問題も含まれていたりと、『スーパーマリオバトル』よりも問題の幅が広がっていた。得点管理はチームごとの『カート』が管理。正解する度に16枚のパネルから1枚をめくることができ、出てきた数字の数だけカートを進められた。
最終的に10マス進み切るか、制限時間内に最も多く進んだペアが優勝となる。

◆ファミコン相談室
視聴者の質問コーナー。寄せられたはがきの質問に回答する。
内容は主にゲームソフトの攻略が中心。基本的にファミコンに関する質問のハガキから実際に操作して回答する、というのが主な内容だったが、後に新作ソフトの難所に対する質問と回答が中心になった。なお、初期は『ファミコン相談室』、後に『今週の一押しソフト』、『ファミコン情報室』と名を変えた。

◆スターチャレンジ
ゲストのタレントがゲームを行い、課題にチャレンジするコーナー。
ゲストごとに得点を月別で争うという、ランキング制となっていた。
後に『スーパーマリオバトル』の一企画になり、コーナー名も『スターチャレンジDX』に。ゲストが『スーパーマリオバトル』の優勝者と戦うというコーナーに変更された。

◆全国対抗 勝ち抜き王者決定戦
『ドクターマリオ』、『ヨッシーのたまご』、『スーパーマリオカート』、『ヨッシーのクッキー』いずれかのタイトルによる勝ち抜き戦。番組後期からスタート。
基本的にディフェンディングチャンピオン(王者)と挑戦者の対決がメイン。5周勝ち抜きで殿堂入りとなった。なお、この企画のディフェンディングチャンピオンのシステムが後の『スーパーマリオスタジアム』のクイズ企画に継承された。
▼スペシャルエピソード
筆者が印象に残っているエピソードをピックアップ。

◆最強のM君
『スーパーマリオバトル』のとある回にて、M君(当時中学二年生)なる挑戦者が出演。彼はコーナー開始当初から偉くハイテンションで、自己紹介時には下唇で鼻の穴をふさぐという謎の特技を披露。渡辺徹と本田理沙の二人を失笑させた。
そして後のクイズ本編では威勢よく、二問連続早押しで回答するのだが、回答した全問ハズレ。あっという間に失格のピンチに陥ってしまう。だが、その後に脅威の挽回を見せ、チャンスカードを引いて一気にトップに。その後は怒涛の勢いで勝負に出、そのままピンチの状態で170点を獲得。優勝を果たしてしまった。
これだけなら、まだ脅威の逆転劇なのだが、最大の注目点は彼のクイズ中の行動。正解する度に「おっしゃあー!」と絶叫し、ガッツポーズまで披露するだけでなく、渡辺徹の解説時に突っ込みを入れたり、更には勢い余って鼻水を垂らしてしまったりと、他の三人の出演者の存在を喰うかのようなはしゃぎっぷりを見せていた。その様を見た渡辺徹は『バカボン』のクイズの回答した後の彼のリアクションに対し、「お前がバカ田大学だ!(笑)」と突っ込んだほど。
そして、そのはしゃぎっぷりは隣にいた理沙さんも苦笑しっぱなしになり、途中で台詞を噛むトラブルまで起こしてしまった。数ある『スーパーマリオバトル』の出演者の中でも、特に怖いもの知らずだった人物といえるだろう。
その凄まじいインパクトが当時の視聴者を爆笑の渦に陥れたせいか、今なお、他でも伝説として語り継がれているエピソードだ。あまりに衝撃的過ぎた故、Youtubeなどの一部動画サイトにもその模様がアップされているほど。当時を知らぬ方で、興味があったらご覧になってほしい。。なお、リンクはあえてしませんのでご了承の程を。

◆私が司会になる!
番組後期の1993年頃、ゲストチャレンジの企画にて演歌界の大御所にして、「お客様は神様です」の名言でお馴染み、三波春夫がゲストで出演。自身がCMソングを歌った『ヨッシーのクッキー』に挑戦した。しかも挑戦開始前、
私がランキング一位になったら、番組の司会になる
と宣言。渡辺徹から総合司会のポジションを奪おうとした。
しかし、肝心の結果は惨敗で、一位にすら届かぬ低記録で終了。
司会の夢は潰えてしまったのだった。。

なお、三波氏は2001年4月11日に前立腺癌により、77歳で逝去。奇しくも、その日は『マリオスクール』が終わってからまだ、2週間も経たぬ頃であった。


そんな三波氏が歌うヨッシーのクッキーのCMがこちら。
歌だけでなく、喋るヨッシーも印象的でした。

◆観客席に隠れゲスト
1992年頃放送。クイズ企画『スーパーマリオバトル』にて、苗字が「田代」という小学生の挑戦者が参加した。その挑戦者の正体は何とタレント、田代まさしの息子だった。
しかも、観客席には息子の晴れ姿をビデオに録画する、田代まさし本人の姿が映っていた。後に渡辺徹にその姿が目撃され、会場が沸き立ったのは言うまでもない。
しかし、2010年現在において、このエピソードは最大のタブーと言えるかもしれない…。

ちなみに未確認情報だが、クワマンこと桑野信義の息子も参加していたらしい。
但し、本人が観客席にいたかどうかは不明。

◆デデデ大王が倒せない!
『ファミコン相談室』にて、1992年頃放送。当時、ゲームボーイで発売された『星のカービィ』のラスボス、デデデ大王が倒せないという質問が殺到。
番組内でその倒し方をレクチャーするというネタバレすれすれの展開があった。
ちなみに殺到と称した通り、番組内には10件以上(正確な数値は不明)もの同じ質問が寄せられ、その量に渡辺徹と加藤紀子の二人は驚いていた。
今なら、ネットで簡単に解決できると思われる、時代を感じさせるエピソードである。

◆超魔界村のエンディングを見せてください。
同じく『ファミコン相談室』。放送時期不明。
スーパーファミコンの『超魔界村』のエンディングを見せて!という、これまたメチャクチャな質問が寄せられた。そして、一部だけながら番組はそのエンディングを見せてしまった。
今なら、明らかに苦情が殺到しかねないエピソードである…。ただ、『超魔界村』自体が難易度の高いゲームである故、止む無い一面があったとも言える…。
≫トップに戻る≪